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10/19(土)〜21(月)

先行ロードショー
鹿児島ガーデンズシネマ
13:00〜(21日は未定)

※詳細はこちら

 「湾生」とは、台湾が日本統治時代(1895 - 1945)に台湾で生まれた日本人で、父母や祖父母の代から台湾に移住した2世、3世です。親、祖父母は、日本から公務員、企業の駐在員、商人、農業従事者たちでした。幼少期、少年少女期を台湾で過ごし、終戦によって中華民国政府の方針で強制送還、つまり日本に「引揚げ」てきたのです(もっとも湾生にとって「引揚げ」でなく先祖の地に行くことでした)。基隆港から船に乗るまで1000円のお金しか持つことが許されず、日本に行く「引揚げ船」の中や、日本の港に着いてからも様々なことがありました。そして、それは日本各地で新たな生活を始めた後も…。

 日本社会は引揚者を温かく受け入れた? 日本人は、台湾社会では、台湾人とは一線を直し、上位にあったのですが、日本では、引揚げ者として白眼視されていたこともありました。日本の戦後復興と共に成長する湾生は就職し、結婚し、家族ができ、今では80代~90代を迎えています。

 日本人が去った後の台湾には、蒋介石の国民党が台湾の富を挙中にし、戒厳令をしきました。1972年に日中国交回復 それは日華国交断絶を意味しました。多くの日本のマスコミ、国民の眼は中国に向けられ、台湾は存在すら忘れられていた感がありました。また、台湾では民主主義を求める人々に対する白色テロが横行します。80年代後半になって戒厳令が解除されます。そんな戦後の台湾を湾生たちは、どう意識し、考えていたのでしょうか。

 

 ある湾生は語ります。「新聞に『台湾』という文字があると気になってしまう」「台湾は第2の故郷ではなく、第1の故郷」。湾生たちの台湾への懐かしく、いとおしい想い。(終戦時、台湾にいた日本の軍人軍属など 約50万人。うち 湾生は20万人)。

 湾生たちのそれぞれの台湾人生。それぞれの戦後人生。湾生たちの生きてきた物語をこれまでとはまた違う切り口で語ります。

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