2013/カラー/120分
呉さんの包丁
〜戦場からの贈り物〜
台湾、金門島。150㎢のこの小さな島には、台北の松山空港から中国大陸に向かって約1時間のフライトで着く。中国・厦門までの距離はわずか10㎞。
金門は美しい島である。夜明けは朝霧と共にやってくる。島には石獅爺という魔除けの像が所々に立ち、高梁畑が広がり、渡り島が羽を休める安息の地。古くからの閩南建築の家屋、南洋で財を築いた華僑たちの館……島人は、豊かな魚介類と郷土料理と高梁酒に酔う。落日の夕焼けは湖面を赤く染めていく。対岸には蜃気楼のように厦門の夜景が浮かんでいる。
金門島は戦いの最前線にあった島である。第二次世界大戦後、国共内戦が始まり、敗走する国民党軍と追撃する共産軍の間で決戦となった。1949年10月の古寧頭戦である。金門島に3万人の共産軍が押し寄せたが、国民党軍が撃退。以来、国民党軍は10万の兵をこの島に配備する。毛沢東は「台湾解放」を目指し、蒋介石は 「大陸反攻」を掲げて対峙する。1958年8月23日、共産軍は対岸から600門の大砲で金門全域を砲撃。国民党軍も応戦(823砲戦)。共産軍は数週間に渡って50万発の砲弾を撃ち込んだ。それから1978年まで双方の軍は宣伝弾を撃ち合っていた。
監督
林 雅行
金門でこの砲弾を材料に包丁を作る職人がいる。呉増棟さん(56歳)。3代目にあたる。呉さんの祖父の代には厦門で農具や漁具を作り、父が金門で販売していた。父の代になると金門に移住。そして父が島にある砲弾を使って包丁づくりをはじめた。呉さんの少年時代の記憶は戦時体制と重なる。金門は1992年まで軍事管制が敷かれ、島民の生活は戦時体制として大幅に制限、要所には地下坑道が作られた。呉さんの今日までの人生は、金門の苦難の歴史と重なる。
そして今、「砲弾は僕にとって空からの贈り物だ」と語る呉さん。大陸から船で1時間なので、現在は、台湾人だけでなく大陸からも大勢の中国人観光客が訪れる。彼らは呉さんの工場を見学し、こぞって包丁を買い求めていく。
包丁にこめられた呉さんのメッセージとは…
パンフレット
B5判/32頁
600円(税込)
テーマ音楽 作曲・演奏
彩愛玲(ハーピスト)
祖父は台湾人声楽家。
台湾華僑3世。
語り
三宅真衣
愛知県出身。俳協の若手俳優として活躍中。[写真:中野森]
取材協力
中華民国国防部 中華民国行政院 国軍退除役官兵輔導委員会 国軍歴史文物館 金門縣政府 台北縣 台北縣黄金博物館 台北駐日経済文化代表處 台湾観光協会
CHINA AIRLINES EVA AIR
取材・撮影
高良沙葵 本多真子 伊藤文美 市川絵里子 林 雅行
音響効果 林 恵吾
通訳 王昱婷
翻訳
グラディス・ツァイ 陳雨禾 アルタン・ジョラー
荘雅筑 勝海惠蓮
編集 本多真子
CG制作 高良沙葵
スタジオ・技術協力
東京オフラインセンター ビデオ・フォーカス